原 市之進(はら いちのしん) 天保元年(1830)〜 慶応3(1867))
碑は水戸藩士、原仲寧(伍軒と号す)が幕末に際し国事に活躍した功績とその徳をたたえたものである。
水戸藩の藩士、一橋徳川家家臣。藤田東湖の従弟に当たる。幼名は小熊。諱は忠敬、忠成。別名は任蔵。号は尚不愧斎。字は仲寧。通称は伍軒先生。
水戸藩藩士・原雅言の次男として生まれる。
弘道館で学び、1853年には江戸幕府の教育施設である昌平坂学問所に入学。その後、水戸に帰国して弘道館の訓導(現在の先生)となり、奥右筆頭取に任命された。
1863年からは徳川慶喜の側近、慶喜の側用人、さらに1866年には慶喜より幕臣として取り立てられた。その功績を妬む者も多く、奸臣と見なされて1867年38歳の時に暗殺された。
【菁莪】《「詩経」小雅・菁菁者莪の「菁菁たる莪は材を育するを楽しむ、君子は能(よ)く人材を長育す」から。「菁」はしげるさま、「莪」はあざみの意》人材を育成すること。英才の育成を楽しむこと。また、多くの人材・英才。
【昌平坂学問所】(しょうへいざかがくもんじょ):江戸幕府の教育施設。
【奥右筆】(おくゆうひつ):
江戸幕府の職名。若年寄の下で機密文書の作成・記録などにあたった役。
【奸臣】(かんしん):
邪悪な心を持った家来。
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