長塚節歌碑 (ながつかたかしかひ)

 長塚節 歌人・小説家( 1879(明治12年)〜1915(大正4年))
明治12年岡田郡国生(こくしょう)村(現常総市国生)の豪農の家に生まれる。大正4年2月8日,喉頭結核のため35歳10ヶ月の生涯を閉じた。
茨城県尋常中学校(現在の水戸第一高等学校)に進学したが・病気のために中退。正岡子規に師事し、多くの短歌・小説・写生文を残す。日本を代表する歌人であり、農民文学不朽の名作「土」の作者として知られる。「土」の舞台は茨城県西部,鬼怒川沿いの貧しい農村で,寒村の自然・風俗・行事等を書き描いている。2015年2月8日には,長塚節没後100年を記念して常総市にて「土」の上映会が行われた。

水戸市千波湖畔こぶし広場北側に建つ歌碑に刻まれた歌

 那珂川ニ網曳ク人ノ目モカレズ 鮭ヲ待ツ如君待ツ我ハ 長塚節

以下は歌碑の左側に建っている副碑文より、
 1904年(明治37年)9月作。中学時代の親友滝口述が日露戦争に出征し負傷した。その時の見舞いの手紙に添えられた短歌十五首中の一首。碑文はその手紙から採った。
 那珂川に帰ってくる鮭を、漁師がいまかいまかと川面から目を離さずに待つように、私は君が元気で帰って来るのを待っている、と水戸時代に親しんだ那珂川を詠み込んで友との再会を願う気持ちを歌っている。長塚節歌碑建立実行委員会


長塚節歌碑(千波湖畔こぶし広場)(2009.12.12撮影)
郷里石下町(現常総市)に向かって建てられています

長塚節が茨城県尋常中学校(現水戸一高)に学んだということから、 茨城文化団体連合、茨城歌人会などが計画立案し、「長塚節歌碑建立実行 委員会」なる組織が中心となって約5年間の歳月をかけて建設されたもの とされています。

歌碑に刻まれた歌
那珂川ニ網曳ク人ノ目モカレズ 鮭ヲ待ツ如君待ツ我ハ 長塚節

歌碑の裏面には、
長塚節生誕百二十周年記念
一九九九年四月三日建立
長塚節歌碑建立実行委員会と刻されている。

歌碑に刻まれた歌
1904年(明治37年)9月作

(2009.12.12撮影)

 


 

長塚節についてより詳しく知りたい方には、常総市のサイトをおすすめしま(外部リンク)

常総地域交流センター(豊田城)前に建つ長塚節の銅像(茨城県常総市)
豊田城は平成4年にオープンした7階建ての展示館で長塚節の展示コーナーがあります

(2009.12.4撮影)

 

豊田城(常総市)前の歌碑
大正13年5月29日、橋田医院を退院して翌30日、
大雨の中を帰郷した夜、詠んだ三首の中の一首

「垂乳根の母が釣りたる青蚊帳を すがしといねつたるみたれども」
(2009.12.4撮影)

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